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うみねこ通信 No.106 平成20年4月号

伊神新副院長就任挨拶

伊神副院長この度二人目の青森労災病院副院長に就任いたしました伊神勲です。平成20年1月1日付けでこの重責を拝命いたしました。私は、現副院長の竹川先生と同じく、平成3年に当地に赴任いたしまして16年間、白銀地区の皆様を始め、広く県南の方々に育てていただき、かつては常勤医が3人いた放射線科を、現在は何とか一人で切り盛りしております。

伊神という姓を珍しく思われる方も多いかと存じます。私の出身は愛知県(尾張)江南市と言う所であり、実家の近隣地区には「伊神」姓が大変多く、幼少時より姓を気にしたことがありませんでした。青森県では津軽地方には「神」、県南地方には「妻神」など神が付く姓が多くあり、何となくその地区にとけ込み易く感じておりました。ところが名の勲にはちょっとした謂われがありました。

私の父は大東亜戦争に18歳で招集され、250kg爆弾を積んで一人乗りの小舟で敵艦に体当たりする「魚雷艇」乗りの任務を受け、米軍の本土上陸を阻止すべく、沖縄本島南の慶良間諸島にいたそうです。ところが、魚雷艇で出撃する前に米艦船からの一斉射撃を受けて、慶良間諸島の日本軍は壊滅状態、ある島では玉砕したほどでした。その後、ほとんどの戦友を餓死などで亡くし終戦を迎え、体重20数キロと餓死寸前の米軍に投降した19歳の青年の夏が終わりました。その時の数少ない生き残りの中に、八戸出身の「・・勲」と言う方がいらっしゃいました。私の父も御多分に漏れず、次男の命名にはあまり悩まずに決めたものと思います。父は私の妻に、「戦友」とは妻や子供よりも尊い存在であると言っているそうです。このように、私が永らく当地で仕事をさせていただくことになった運命を妻に論されております。

私は放射線科医です。皆様にはあまり馴染みがないと思われます。患者様は最初から放射線科を受診することはなく、私たちは他科からの依頼で幅広く仕事をしております。全ての診療科と体全身を対象に、放射線診断、核医学、放射線治療を主に行っております。放射線科医は欧米では"doctor's doctor″と言われています。アメリカのメイヨ・クリニックには500人の医者がいますが、その内100人が放射線科医です。放射線科の中にも多くの専門分野があり、高度な専門家集団を形成して診療をしています。ところが本邦では、放射線科医が非常に少なく、病院の医者20人~50人に一人で診療を行っています。しかも本邦の放射線科の歴史は、黙っていると他科から全く相手にされず、いてもいなくても良い存在でした。私が放射線科医になった頃は、 CTが導入され始めた時期を、放射線科の隆盛期の入り口でした。そこでご用聞きよろしく、他科の診療の下請け、より良い検査や治療の紹介などを経て、他科の理解と信頼を勝ち取り、放射線科診療を広げて参りました。その先には、常に患者様へのより良い診療を目指しておりました。日本の商売の格言には、よく「売って感謝される」、「真心を売る」など、信用を旨としたものが多くあります。昨今の商品偽装や低所得者向け高金利型(サブプライム)住宅ローン問題などの目先の損得に捕らわれることなく、以前より当労災病院では患者様からの「信頼を得る」を主眼においた診療を行っております。今後も放射線科医としてのみならず、副院長の職責として、病院全体の診療科や職員が働き易く十分に力を発揮できるよう尽力し、延いては地域全体の皆様からの信頼と安心と満足を得る青森労災病院を目指して行きたいと考えております。今後共、どうぞ宜しくお願いいたします。

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