閉じる
HOME
診療科のご案内
当院のご紹介
ご来院の皆様
採用情報
診療科・各部門
各種ご案内


HOME ≫ 各種ご案内 ≫ 広報誌のご案内 ≫ うみねこ通信 ≫ バックナンバー ≫ 平成22年12月号

うみねこ通信 No.138 平成22年12月号

情動のしくみと脳の謎

脳神経外科部長  鈴木 直也

米ハーバード大学のサンデル教授による哲学の公開講義「ハーバード白熱教室」が今年話題になりました。聴衆の情動が刺激され、互いに対立あるいは共感しながら進行した白熱の講義は大変興味深いものでした。さて白熱/共感/愛着などの情動は、ヒトとヒトとの関わりのなかで生じてきますが、情動の仕組みは脳科学の分野でも多くは未解明です。研究は容易ではありませんが、最近の画像技術や遺伝情報技術の進歩によって謎の一部が解明されつつあります。今回はヒトの「情動と脳」周辺の医学情報のうち、身近な生活にも関連するいくつかの話をご紹介します。

<更年期障害>
女性の卵巣から血中へ放出されるエストロゲンは、脳の視床下部へ合図を送っています。その合図を判断材料にして視床下部は他の複数のホルモンを介して体調を複雑にコントロールします。一方で視床下部は扁桃体と呼ばれる部位を介して情動にも影響を与える力もあります。中年期女性で卵巣のエストロゲン放出が減少すると、視床下部がエストロゲン量の変化にすぐに順応できずに「勘違い」して各種ホルモンや自律神経への指令を乱発してしまい、生体機能(体温調節/発汗/血液循環/情動)を攪乱し情緒まで不安定にします。標準的治療はエストロゲンを薬にして、視床下部の「勘違い」が自然に収まるまで(数年間程度)服用することで苦痛症状を軽く済ませることができます。エストロゲン単独服用だと子宮粘膜を増殖させてしまい子宮癌発生を促すといけないので、予防策として黄体ホルモンも同時に内服することで安全に治療できるようになりました。
<ストレスと不眠>
脳の視床下部がCRH(Corticotropin releaseing hormon)を分泌し、これが下垂体と副腎皮質を刺激してストレスに負けないように体を整えるホルモンを放出させてストレスに備える働きをしています。一方でCRHは覚醒作用をもつため、ストレス時に眠れなくなる原因の一つといわれています。(1)
<睡眠不足と眠気>
長時間眠らないと眠くなりますが、なんらかの睡眠物質が蓄積するからとする以下の仮説があります。①覚醒が続くと脳でPGD2(プロスタグランジンD2)が蓄積→アデノシン増加→アデノシンA2受容体活性化→GABA作動神経活性化→ヒスタミン作動神経の活動抑制→ノンレム睡眠を誘発する(2)、②神経細胞が持続すると神経伝達物質のグルタミン酸が細胞外に蓄積→脳構造を支える役目のアストロサイト(=星細胞)がATP(アデノシン三リン酸)を放出 →ATPがシナプス間隙で代謝されてアデノシン増加→上記と同じくノンレム睡眠誘発する(3)、③アストロサイトは睡眠脳波「デルタ波」を調節するほか、大脳皮質の一部だけを眠らせる「局所睡眠」作用をもつかもしれない(4)、などの仮説があります。
<昼夜の生体リズムの調整>
脳の松果体は体内時計と関連するといわれています。脳の松果体でメラトニンが合成され、視交叉上核という部分に作用して睡眠覚醒リズムへ関与します (5)。その際にリズムの振幅を大きくすることで睡眠を誘発するMT-1受容体と、位相の調節つまり時刻のズレを修正するMT-2受容体という2種類のスイッチがあって、メラトニンがそれぞれへ作用することがわかってきました。このしくみを利用して副作用の少ない新型の睡眠剤も発明されています。
<共感、愛着行動と脳内ホルモン>
オキシトシンとバゾプレシンは9個のアミノ酸からなるペプチドホルモンで、アミノ酸2個が異なるだけの類似した物質です。これらは脳の視床下部で合成されて、下垂体後葉から血液中に分泌され通常は脳以外の臓器へ作用しています。最近の研究では、オキシトシンは脳内に分泌されることで動物やヒトの行動に影響を与えるらしいことも判明しました。たとえば平原ハタネズミは一夫一婦制で、妻とそれ以外のメスを識別し同じ巣のなかで家族を形成して過ごすなど愛着行動を示し、オスも子育てに参加する性質があります。他方で同種であっても山岳ハタネズミは一夫一婦制をとらず、愛着行動もありません。二種を比較すると前者で血液中や脳内のオキシトシンやバゾプレシン濃度が高く、脳の視床下部で感知するスイッチ(受容体といいます)の数が多いことがわかりました。さらに遺伝子操作でオキシトシンやバゾブレシンの働きを抑えると、雄マウスがパートナーである雌マウスを忘れて関心を示さないかのような行動をしたり、ホルモンの作用を中継する分子CD38の働きを抑えると、母親マウスが子育てへの関心を失うかのような行動が観察されました(6)。2005年にヒトで行なわれた驚くべき実験では、スイス工科大学の健康な男子学生200人弱にオキシトシン投与群と偽薬群に振り分けし、経済活動に模してお金を持つ投資家とお金を運用する立場の信託者の役とし、それぞれ異なる利殖率による返金を受けるマネーゲームを行なったところ、オキシトシン投与群は相手に愛着し信頼信用を増し、全額に近いお金を運用に預ける傾向があったそうです(7)。fMRIという脳の活動を画像化する手法をもちいた研究では、ヒトではオキシトシンが「先に対する不安や恐怖」を抑える効果があるらしいと考えられました(8)。一連の実験から脳内オキシトシンは、互いの信頼、愛、絆、共感に影響を与えているらしいと考えられています(9)。  以上のように社会的行動に影響する基礎的な情動も、神経細胞、脳内ホルモン、神経伝達物質に影響されている可能性が示唆されています。このような領域での地道な研究が将来、ストレスによる疾患、引きこもり、ネグレクトなどのヒト社会の問題を解決する糸口になるのではないかと期待されています。
  • 1) Buckley TM, Schatzberg AF : J Clin Endocrinol Metab 2005 : 90 : 3106-3114
  • 2) 石田直理雄、本田研一編:時間生物学事典 朝倉書店2008.
  • 3) Halassa MM, et al : Neuron 2009 : 61 : 213-219
  • 4) Huber R, et al : Nature 2004 : 430 : 78-81
  • 5) 宮本正臣:睡眠医療 2009 : 3(4) : 553-556
  • 6) Jin D, Liu HX, Hirai H et al : Nature 446 : 41-45, 2007
  • 7) Kosfeld M, Heinrichs M, Zak PJ

このページの先頭へ