HOME ≫ 各種ご案内 ≫ 広報誌のご案内 ≫ うみねこ通信 ≫ 令和3年10月号

うみねこ通信 No.268 令和3年10月号

インスリン発見が救った1型糖尿病患者の命

糖尿病・内分泌内科部長 崎原 哲

1922年12月21日

親愛なるBanting先生
先生がご無事で到着されたと願っています。
先生がお発ちになった日から、私は勇気を出して自分でインスリン注射を始め、続けています。
この5日間は砂糖なしの1900カロリーの食事(蛋白60g、脂肪 163g、糖質 94g)をとり、とても元気になりました。インスリンは1日に2回注射しています。

上の手紙は約100年前、8歳の1型糖尿病の少女が、彼女の主治医(バンティング医師)に宛てた手紙です。1922年12月、彼女は糖尿病性の昏睡状態に陥り、トロント(カナダ)の病院に運び込まれました。その病院で彼女はインスリン治療を受け、見事に死の淵から生還しました。その後元気を取り戻し、主治医への感謝の意をこの手紙にしたためたのです。自由に飛び回る小鳥の絵柄が、この子の希望を表している気がします。
『糖尿病の患者をインスリン注射で治療する』
今でこそ当たり前の話ですが、100年前まで1型糖尿病は、有効な治療法が無く、数週間のうちに衰弱して死に至る非常に恐ろしい病気でした。この少女もインスリン治療を始めるまで、まさに死の淵に立たされていました。
糖尿病の原因には膵臓で産生される“インスリン”というホルモンが深く関わっています。インスリンには血液中のブドウ糖を細胞内に取り込ませる作用があり、これにより動物は、食事で摂取した糖をエネルギー源として利用したり、細胞の中に蓄えたりすることができます。インスリンの量が減ったり、作用が低下したりすると、体内(細胞)で糖を利用できず血糖値が上昇し、糖尿病が発症します。糖尿病はインスリンが失われてしまう1型と、インスリン作用が減弱する2型という二つのタイプに分類され、これらは原因も病態も異なります。飽食の現代日本では9割以上の糖尿病患者が2型です。肥満や生活習慣の悪化が原因で、大部分が成人してから緩徐に発症します。これに対し、1型はウィルスの先行感染や自己免疫が関与して、生活習慣・年齢・性別に関係なく、ある時に突如発症します。手紙の送り主の少女を含め、幼小児期に発症する糖尿病は殆ど1型です。1型糖尿病では糖をエネルギー源として利用できないため、適切にインスリンを補充しないと、前述のように、数週間で飢餓状態に陥り、衰弱して亡くなってしまうのです。
1921年に血糖値を調節するホルモン、インスリンが発見されたことで、1型糖尿病患者の未来が変わりました。翌年1922年にはウシの膵臓から抽出したインスリンを1型糖尿病患者に投与する試みが開始されたのです。実はこの少女も、その試験的治療を受けた一人でした。少女は一命をとりとめ、その後成人して結婚し、出産もされたとのことです。そして主治医のバンティング医師こそが、インスリンを発見した研究者の一人です。彼はその功績をたたえられ、1923年にノーベル医学生理学賞を受賞しました。
その後、分子生物学の恩恵を受けインスリン製剤は進化します。当初は動物の膵臓から抽出していたため、アレルギー反応が多く、効果不安定で、作用時間も短く、患者には大きな負担でした。しかし最近では、ヒト-インスリンや、より扱いやすいインスリンアナログ製剤が人工的に合成され、副作用なく効果が安定し、健常人に近いレベルまで血糖をコントロールすることが可能になりました。
さらにインスリンだけではなく、自己注射用の注射器、針、血糖測定器、そして内服薬もここ数十年で驚くほど進化し、治療に伴う苦痛や不安もかなり軽減してきました。今では1型糖尿病の患者さんも、皆と同じように食事を摂り、働き、スポーツを楽しみ、安全に子供を産むことが出来る時代になりました。もちろんまだまだ解決しなければいけない課題は沢山ありますが、1型糖尿病は、今や誰もが克服できる病気になりました。
11月14日は国連が認定する『世界糖尿病デー』です。青い丸「ブルーサークル」をシンボルに毎年世界各国で糖尿病啓発キャンペーンが行われます。実はこの日は少女の主治医、バンティング博士の誕生日です。インスリンの発見に敬意を表しWHOがこの日に制定したとのことです。
 

このページの先頭へ