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整形外科部長 岩崎 弘英
平成10年(1998年)に医者となり、47歳のいま整形外科医として23年目を迎えています。医者という職業は長く働く方々が多く、70代そして80代でもお元気な現役の先生は珍しくありません。40代の私の医者人生は中頃といったところでしょうか。医者人生中ばを振り返り、最も医者生活を変えたものは何かといえば、間違いなくインターネットになります。
医者になった平成10年は長野冬季オリンピックがありました。サッカー日本代表が初めてW杯に出場したのもこの年です。携帯を持たず、病院からの呼び出しにはポケベルが使われていました。医者は自分の机がある「医局」で仕事をすることもあります。外来や手術、検査、病棟での仕事を終えて、夕方、場合によっては夜に医局に戻って論文を読んで勉強します。医者になった頃、パソコンは持っていましたがネットには繋がらず、もっぱらワープロや学会発表のためのスライド作りの為だけに使っていました。当時、医学論文を探すのが一苦労でした。大学病院勤務時は附属図書館へ仕事の合間に出かけて、端末のコンピューターに保管されているCD-Rで論文を検索し、暗い地下の書庫へその論文を探しに行きます。夜8時には閉館となるため、時間ぎりぎりで駆け込むことも多々でした。手術では、ひたすら先輩の技を見て盗み、ノートを作って覚え、辞書のごとく分厚い英語の教科書を片手に勉強をするしかありませんでした。医学学術集会(学会)で発表する際には、カメラ屋さんへスライドのデータを持ち込み、2日かけてプラスチックとフィルムでできたスライドの現物が完成します。それを学会の会場まで大事に抱えて持って行きました。
医師となって3年目、医局でインターネットがつながるようになりました。院内でのネットワーク化が進み、カルテやレントゲン写真などを全てコンピューター上で操作できる病院がみるみる増えて行きました。世間では、ガラケーによるi-mode(懐かしいですね)からスマホでのインターネットへ変化し、平成10年は2Gのネットワークでしたが、今や5Gのネットワークが全国に広がっています。5Gの通信速度は2Gの400万倍です。
この高速ネットワークにより、医局での仕事は激変しました。論文検索はいつでも可能となり、得られる情報量は飛躍的に増えました。最新の論文もすぐに検索できます。英語論文のわからない単語はワンクリックで意味が出ますし、やろうと思えばグーグル翻訳で論文全体を翻訳することもできます(しかし意味不明な翻訳が多いです)。YouTubeなどの動画サイトでは名人の手術動画を見ることができ、手術前のイメージトレーニングがしやすくなりました。つまり以前より、深い知識を得ることができるようになりました。最近の若手の先生方を見ていると、自分が若い頃より明らかに知識が多い印象です。学会発表にはスライドのデータを持っていくだけで良いし、このコロナ禍では学会はオンライン開催となり、自宅で学会発表を視聴することができるようになりました。5Gの普及とアフターコロナの生活様式によって、学会のあり方は大きく変わろうとしています。
しかしインターネットには功もあれば罪もあります。情報量が多いぶん間違った情報も多く、その取捨選択がとても大事です。特に新型コロナ感染に関してはフェイクニュースがあふれ、間違った知識が偏見を生み、社会問題となっています。第3次産業革命と呼ばれるインターネットによる功罪は、結局は使う人間次第ということなのでしょう。第1次、2次産業革命の技術によって多くの戦争兵器が開発されたことと同じです。
インターネットは世界を変え、医者を変えてきました。今後も想像できないくらい変えていくことでしょう。ネットによる変化の波に飲まれぬよう、一生勉強が必要ですね。