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脳神経外科部長 鈴木 直也
ヒト一人は約60兆個の細胞で構成されていますが、腸内には一人あたり100兆個以上の細菌が暮らしています。細胞の数で言えばあなたの体はあなた自身よりも細菌に主導権があっても不思議ではありません。近年の腸内細菌叢研究が語る成果を断片的ですが紹介します。
【腸内細菌研究の黎明期の知見】
腸内細菌は種類が多く、酸素を嫌う菌(嫌気性菌)もあって試験管のなかでの再現が困難でした。そこで人工的な無菌環境で飼育された無菌マウスと健常マウスと比較すると、無菌マウスは腸が腫れる、免疫力が弱い、行動が不活発などかえって不健康な事象があることが判明しました。つまりマウスの腸を健康に保つには腸内細菌が必要らしいのですが、候補の菌が500種以上もあって特定が困難でした。ある研究者が嫌気性菌が有酸素下でも芽胞に変身することで生き延びることが可能なClostridium(クロストリジウム)という種類の菌115株に着目しました。1株ずつ試しても無効で、地道な30年の研究の末ついに115株中の46株を同時に使うと有効であることが判明し、多種類の菌がチームとしてそろった時に有効に機能することが証明されたのです(※1)。正常下の腸内細菌叢はある種のビタミン生成、食物繊維の分解、ヒト細胞に作用する生理活性物質(短鎖脂肪酸、GABA等)を産生するなどヒトの代謝を手助けする仕事をします。
【腸内細菌の免疫力への影響】
無菌マウスはなぜか免疫力が弱いのですが、SFB(セグメンテッド・フィラメンタス・バクテリア)を与えると免疫力が高まることが発見されました(※2)。SFBは流れの速い小腸内で小腸粘膜に突き刺さってとどまろうとしますが、菌による粘膜への刺激が、免疫反応を高める働きのTh-17細胞(Tリンパ球が変身してできるhelper T 17)を増やします。またClostridium菌を腸へ与えると、免疫反応を抑制する働きのTreg細胞(ティーレグ細胞※3)を増やします。前者Th-17細胞は過剰に働くとアレルギー疾患や自己免疫病を起こし、後者Treg細胞は癌細胞塊に取り込まれて癌が免疫攻撃から逃れるために利用されるなど、良くない疾患に悪用されてしまうこともあります。
ヒトの腸は単に細菌に宿を提供しているのではなく、粘液のバリアで腸粘膜表面を防衛しつつIgA抗体を放出して菌体に付着させることで腸粘液の海原の中へ潜らせ導くことで必要な菌を腸の側が選ぶこともできます。
数年前には前述46株の有望Clostridium菌に次いで17株を選出した菌(Honda’s 17-strain clostridial cocktail)を腸に与えるとTreg細胞が増加し腸の炎症疾患を抑制できることも確認されました(※2)。
Facecalibacterium prausnitzii(Clostridium菌)が腸炎症を抑制する能力にとりわけ優れることを見いだした研究(Harry Sokolら)があり、その菌は腸内の食物繊維から酪酸(butyrate)を産生、それがTreg細胞を促進します。科学的見地から健康のために『もっと繊維を食べてTreg細胞に与えよう(“feedyour Tregs more fiber” )』という標語で食物繊維摂取を勧める学者もいます。
【腸内細菌叢が脳機能へ影響を与える知見】
実験室ではマウスの行動をビデオ計測したり、超音波マイク集音でマウス同士の会話数を記録するなどの手法を用いて、臆病マウスと積極マウス、社交的マウスと引きこもりマウス、などの行動特性を見分けることが可能で、腸内細菌とマウス社会的行動の関係も研究されました。その結果、無菌マウスは臆病で他者と意思疎通が少ないが、腸内細菌を与えると行動が正常化しました。積極マウスと臆病マウスの腸内細菌を交換すると積極と臆病の特性も入れ替わりました。やせマウスに肥満マウス腸内細菌を与えると太り、肥満マウスにやせマウス腸内細菌を与えると一時やせるが効果は半年で消えて細菌叢も肥満も元に戻る、など衝撃的な発見も報告されています。
その他の知見も順不同ですが以下に示します。
●腸の末梢神経には細菌を認識するセンサー(Toll-like receptor 4)がある。
●細菌叢の代謝産物が血流で運ばれて直接脳へ作用する場合がある。
●腸で生成されたセロトニンが自律神経の電気的信号伝達を介して中枢神経である脳幹の孤束核や外側傍小脳脚核のニューロンを活性化する。
●食物繊維がFacecalibacterium prausnitziiによって短鎖脂肪酸となり、その刺激によって腸クロム親和性細胞から神経伝達物質セロトニンが放出させることでうつ症状が良くなる。
●無菌マウスの大脳の海馬と前頭葉は、神経成長因子(BDNF:brainderibedneurotrophin)・ノルエピネフリン・セロトニンなどが少ない。
●悪玉の腸内細菌は、遠くの血液脳関門(血液から脳へ不都合な物質が入らぬよう制御する障壁)を失調させて脳に悪影響する。
●無菌マウスはストレス下で視床下部下垂体のストレスホルモンが過剰に出る(※4)。しかしBifidobacterium infantisを無菌マウスに与えるとストレスへのホルモン応答が正常化した。
●Bacteroides fragilis をマウスに投与すると腸の炎症が治り、そのうえ異常マウスの異常行動(くりかえし行動)が改善、意思疎通力も向上し、これは大人マウスでさえも効果があった。
●fMRI(MRIによる脳機能測定法)の計測によれば、ヨーグルトを摂取したヒト女性は、他者からの感情的攻撃に対して耐える力が強くなる。
●ヒトにBifidobacteriumという菌種を与えると不安感やうつ症状に対して効果があった。
●腸内細菌叢は発熱で変調するが、米国の疫学研究によれば妊娠中に高熱が長く続くと腸内細菌叢も影響し、子供の自閉症発現率が7倍上昇していた。同様にマウスによる実験(Pattersonら)で、発熱した母マウスから生まれた子マウスは社交性低下、繰り返し行動が増加、鳴き声による仲間との意思疎通の減少、など自閉症に似た症状が観察された。
<まとめ>
腸内細菌の活動やその代謝産物は、常在する菌の数自体が膨大であるためヒト自身への影響を無視できません。現在も解明されていない多くの謎が残っているものの、腸内細菌叢の善し悪しがヒトの体調・免疫・脳機能、そればかりかヒトの情動や社交性にまで影響を及ぼし得ることが示唆されています。
※1.伊藤喜久治博士による(東京大学)
※2.本田賢也博士による(前東京大学、現慶応義塾大学)
※3.坂口志文博士が1995 年に発見(大阪大学)
※4.須藤信行博士による(九州大学)
※主な参考文献 Nature Vol.518 : February 2015
(http://www.nature.com/nature/journal
/v518/n7540_supp/index.html)